自分で責任を持つこと

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「~だったら・・・なのに」「~なら・・・なのに」と他者のせいにして、ネガティブに考えている人は、まだまだ元気ではなく、「私には・・・がある」「私は・・・を試しています」と目線を自分に向けて、ポジティブに考えている人は、リカバリーしていて、自分の人生を取り戻しているという「違い」があるそうです。

自分が「自分の人生の専門家」です。様々な内外からくる刺激の大抵は自分では選ぶことはできません。しかし、それに対してどう判断・行動するかは「自分で選択可能」です。ここで生じるのが<責任>、つまり、選択権や決定権を自ら持つときに生じる<責任>です。自分の人生、その<責任>はその人生を、命を使って生きているその人自身のもの。自分の人生の<責任>は自分でもつことができる。責任者は誰でもない「自分自身」ということです。

私が今まで、接してきた人の中にも、確かに明確な「違い」がありました。病状が悪い人は思考がネガティブになり、人に頼りがちです。だから自分の苦しみの矛先も他者になってしまいます。結果的に周りの人から遠ざかることになります。それに対して、病状が良く安定していて寛解に近い人は、自分というものをしっかりもっていて、人を頼らなくても、主体的に判断・行動できる傾向にあります。失敗しても自分の失敗としてとらえることができ、すぐに感情を切り替えることができます。ポジティブなので、人を引き寄せることができます。

「仕事や学業」「恋愛やパートナー」「衣食住」「人」「経済的・精神的なゆとり・豊かさ」その他諸々のことに人は価値観の重きを置き、大切にしています。

自分の大切にしていることを制御できないとき、人は欲求不満や怒りを感じる傾向にあると思います。この世は自分一人で成り立ちはしません。私もあなたも人を頼って生きています。あなたが大切にしていることはあなた一人で得られるということはありません。あなたの身の周りにある物、何でもいいです。あなたはそれをあなたの力だけで作れますか?私は何一つ作れません。
このように支え合って生きている時代に、皆が皆、我をはっていては、世の中成り立ちません。時には我慢を強いられ、理不尽な思いをすることもあるでしょう。そんな時でも矛先を自分に向けられる人でありたいと私は思っています。その状況を作ったのは自分の判断・行動によることが多いです。主体的に自己責任をもち、生きていきたいものです。

私の祖父も父も周りの人のために生きた人でした。私は「自分の責任(主体性)」は、「『利他の心(自分のことよりも他人の幸せを願うこと。自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと。)』を持つこと」で成り立つと思っています。

そんな私のDNAになるようなこのコンセプトは私の家(キーコンセプト)では、基礎にあたると思っています。

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