キーコンセプト

ギャンブル依存症対策WRAP

私のこうありたい私は「ギャンブルしない人」です。

【希望】

あらゆるギャンブル性のあることに対して、私は希望を持つことができるだろうか。希望をもった時、それを裏切られたら(負けたら)、取り返してやろうという野望が生まれるだけではないだろうか。そして、野望は必ず絶望にかわる。ゲームを楽しむはずが、苦痛になっても続けてしまう。依存症。本当に恐ろしい病気だ。

この病気に対して私の持てる希望は『勝てると思わないで必ず負けると知る』ことである。元来、あらゆるギャンブル性のあるものには、「その胴元が儲かる仕組み」となっているのを私は知っている。胴元にお金を入れないこと(私がやらなければ胴元は儲からない)を意識した時、私はやめられるような気がする。というか、それを意識して色々なギャンブルをやめてきた。ただ、いつ、私の病気が再発するとも限らない。従って、今後、私がギャンブルをしないためにはこの点『勝てると思わないで必ず負けると知る』を忘れないようにすることだと思う。『忘れない』ということが希望につながるような気がする。

【自分で責任を持つこと】

自分は胴元にみつぐこともできるし、そうしないでやめることもできる。それを選ぶのは私だ。誰でもない、私の判断の責任は私にあって、他の誰にも責任は無いし、問うことはできない。私の責任は「家族の幸せのためにギャンブルしないこと」である。そもそもギャンブルをする時点で、大切な「利他の心」を忘れているというか、「他」の中に胴元やメンバーや客が入ってしまっていることに気付けなかった。私は私の「大切な人々」のために主体的に胴元やメンバーや客にお金を渡さないことをここに誓う。「利他の心」を「家族」に向けよう。

【学ぶこと】

ここで「学ぶこと」≠「ギャンブルに勝つ方法を体得すること」ではないことを明記する。「学ぶこと」=「ギャンブルをやめられる術(すべ)を会得すること」に他ならない。

私はGA(ギャンブルアノニマス)に行っていた。そこでの学びは残念ながら少なかったように思う。むしろ、ギャンブルの楽しさを共感していただけではなかったか。参加者の皆の感覚に、自分の弱さを責めるようなことはあっても、「胴元に金を払っている」ということはなかったような気がする。

学ぶこと(education)と依存(addiction)は英語の読みは似ているが、意味はまったくことなるなと思った。自分が胴元になる方法を知ることはできない。それなりの法律の知識や資産がなければ不可能だ。私はその能力に長(た)けていない。人生後半で始めることではないと思う。客とはお金を落とす人。胴元はそれを拾う人。どちらになるのもやめよう。

今、この依存症対策WRAPを考えることが私の人生最大の学びかもしれない。今までみついだ金額は多額だ。見返りもない、本当につまらないお金の使い方だった。後悔ばかりである。もっと早く学ぶ必要があった。でも私がこの取り組みをできるのは、何か意味があるのではないか。この世に意味のないことはないと私は信じたい。

【自分のために権利擁護すること】

誰が違法行為に払ったお金を払っているのだろうか、それはまぎれもなく「親」なり「家族」である。私を擁護する権利は存在しない。擁護すべきは「親」なり「家族」だ。返済はできないと思うが、これから信頼回復に努めたいと思う。

【サポート】

相談支援専門員に相談しても良いかもしれないが、自分を制御するのは最終的には自分である。自分をどうやってサポートするか。私は私に言いたい。「もういいだろ?いいかげんにしろよ。」と。医療や福祉などの社会資源を使う事は考えられるが、すべて税金でまかなわれている。これ以上、善良な人々に迷惑をかけたくない。「相談力」は低い考えだと思うが、それ以上に「自己解決能力」を会得しておかないといけないと考えるべき案件だと思う。

自分に歯止めがかからなくなる病気を自分で治癒できるのだろうか。私の妻は私に専門医療をすすめた。私は今後、自分のためのお金は医療であっても使いたくないのだ。私は妻の為にお金を使うことを決心する。

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