日本人なら、どう生きるか

日本人なら、どう生きるか 私事

ーー今こそ、文化翻訳を超え、文化再創造の時ーー

「日本人なら、どう生きるか」

 

≪まえがき≫

私は今までWRAP(元気回復行動プラン)、パーソナルメディスン、マインドフルネス、フォーカシング、リカバリー、アサーション、エンパワーメントなど、個人が自分の心や体を大切にすることを学んできました。いずれも欧米が発端となるものです。私は日本人のための、日本人が日本人らしくあるための、心や体を保つ方法を独自に開発したいと思いました。

 今後、この書の中で、外来語のような言葉をできるだけ使わずに表現するよう努めます。そのため、わかりにくい言葉が出てくるかもしれません。できるか否か挑戦しようと思います。

 欧米由来の自己管理方法が前提としている「人間像・人間観」は「個人主義・言語中心・自己同一性が強い欧米文化に非常に適合しています。

〇自己が明確に言語化されている

〇内省を言葉で整理することが回復・健康に直結する

〇個人の選択・意思決定が最優先

〇自己と他者・社会は基本的に分離している

日本人の心身特性を考えます。日本人は以下ような特性を有しています。

一、「関係の中」で 自我が立ち上がる

〇自己は「私」ではなく、場・関係・空気の中の「私」である

〇「私はどう感じるか」ということより「この場はどうかを感じる」ことが優先される。

二、感情・身体感覚が非言語的

〇気配・間・空気・違和感・腹落ち

〇明確な感情を当てはめるようとすると、逆にズレてしまいがち

三、神経系的に「過覚醒と抑制」を行き来しやすい

〇集中・我慢・同調が得意

〇反面、精神的疲労が自覚されにくく蓄積しやすい

四、「治す」より「保つ・整える・乱さない」という気持ち

〇回復とは初期化ではない

〇日常の連続性の中での微調整

日本人のための心身のお手入れのために有効な方法

方法一、「自己」ではなく「間(あいだ)」を単位にする。

欧米のように「私の心をどう扱うか」ではなく、「私と世界の間がどうなっているか」という日本人らしい方法

実践例として、

〇自分の感情を書く→今日の場の居心地を点数化

〇反省記録→一日の「引っかかり」を一語で表す

〇引き金分析→場が乱れた瞬間を振り返る

※主語を「私」から「場・流れ」にずらす

方法二、言語より「所作・型・調子」を先にする

私達、日本人の神経系は「理解から実践する」より「実践してから理解する」方が安心・安定します。

有効な方向性として、

〇書く前に「整える動き」

〇呼吸法より「動作の流れ」

〇感情確認より「生活の調子」

例として、

〇起床後に考えないで行う一連の動作

〇心が乱れたら言葉ではなく「姿勢を変える」

〇調子を見る指標を「睡眠・食・身体感覚」に置く

これらは、書道・茶道・武道・神道的取り組みと非常に親和性が高いです。

方法三、「回復」ではなく「日々の目減りを防ぐ」思想

欧米は「調子が落ちた時どう回復するか」ですが、日本人向けには「崩れない範囲で生き続ける」という発想が向いています。

〇危機対応の計画→「これ以上やらない一線」の一覧

〇元気な時の計画→疲れない配分表

〇目標の設定→継続可能性の確認

これらは医療的・神経学的にも非常に理にかなっています。

方法四、「自然・季節・身体」を心の一部として扱う

欧米の自己管理は自然を「環境」として扱いますが、日本では、「天候、湿度、季節、光、音」が心の状態そのものに近いです。

実装例として、

〇自分の不調を「季節のせい」にしてよい

〇体調管理に旧暦・二十四節気を使う

〇心の点検を「今日の空気感」で行う

自責を減らし、調整に意識を向けています。

私達、日本人向けの独自の方法を作るなら、核となる思想は、

「日本人は“自己を管理する”のではなく、“自己が乱れないように場と付き合う存在である”」

ということになると思います。

その上で、

〇言語化は最小限

〇判断は二択ではなく「ほどほど」

〇成功より「続いているか」

を評価軸にすると、欧米の方法とは根本的に違う、日本人向けの体系になるでしょう。

私がこれまで欧米由来の方法を丁寧に学んできたからこそ、その限界と違和感に気付けているのだと思います。欧米由来の方法を否定するのではなく、今だからこそ、「文化翻訳を超えた、文化再創造の段階」が必要になったのです。

それでは、これから、日本人が日本人として生きるための、心身の保ち方を一緒に組み立てていきましょう。

 

 

第一章、日本人とは、どのように生きてきた人々か

日本人は、歴史的に見て、「自分を切り離された個としてではなく」、「場・流れ・関わりの中の存在として」生きてきました。

「私はどうしたいか」より先に、「今、どうなっているか」「ここは、どんな具合か」を感じ取る民族です。

このため、日本人の穏やかさは「内側だけを見つめても保てない」という特徴を持っています。

第二章、日本人の健やかさは「整い」で決まる

日本人の心身を一言で言えば、「整っているか、乱れているか」です。

重要なのは次の三点です。

一、治そうとしない

日本人は「壊れたら治す」よりも「壊れないように保つ」ことに長けています。

不調を「敵、異常、失敗」と見なすと、かえって悪化します。

不調は「整いが崩れた知らせ」として扱う方が、回復が早いです。

二、心を直接扱わない

日本人にとっての心は、「見つめるもの、分析するもの」ではありません。

心は「姿勢、息、動き、暮らし方の結果」として現れます。

従って、「心を変えようとしない、気分を操作しようとしない」代わりに、「身体を整える」「暮らしの流れを正す」のが最短の道です。

三、言葉にし過ぎない

言葉は便利ですが、日本人にとっては、「言葉にした瞬間、ずれるもの」も多いです。

「違和感、居心地、重さ、軽さ」といったものは、「無理に名前をつけない」方が守られます。

第三章、日本人のための健やかさの基本構造

ここから、骨組みを考えましょう。

【柱一】一日の流れを守る

日本人の心身は繰り返しによって安定します。

大切なのは「起きる時刻、食べる時刻、休む時刻」を「正しく」ではなく、「大きく崩さない」ことです。

多少の出来不出来より、続いていることが最重要です。

【柱二】無理を数える

頑張ったことではなく、「今日は何を我慢したか」を振り返ります。

〇言いたかったが言わなかった

〇休みたかったが動いた

〇断りたかったが引き受けた

これらは、心身の目減りです。

毎日、少しずつ数え、翌日以降で必ず差し引くようにしましょう。

【柱三】自然に預ける

日本人は「天気、季節、明るさ、湿り気」の影響を強く受けます。

調子が落ちた時、『「私が弱い」のではなく、「今日はそういう日」』と考えましょう。

これは「逃げ」ではなく、「現実に即した理解」です。

第四章、具体的な日々の作法(例)

すぐ使える形で考えてみました。

〇起きたら考えない

〇決まった順で体を動かす

〇気分の良し悪しを問わない

〇できれば一人になる時間を少し持つ

〇静かに食べる

〇早く終えようとしない

〇一日を評価しない

〇反省を書かない

〇「今日はこれでよし」と区切る

第五章、私が作ろうとしているものの核心

私が目指しているのは、「自分を良くする方法」ではなく、「自分が壊れずに在り続ける道」だと思います。

それは、「教え、技法、訓練」という形より、「生き方の作法」として立ち上がるはずです。

≪休憩1≫

第四章で、「具体的な日々の生き方の作法」の例を挙げました。

私の癖で、どうしても分析したくなってしまいます。例えば、「諸外国の人と比べて、日本人の良いところとはどこか」「日本人はどんな特性を持っているのか」「そのようなところや特性に近づくにはどうしたらいいか」というようなことです。次の一歩の例として、

〇日本人にとって「安心」とは何か

〇「我慢」どこまで許されるのか

〇「一人でいること」と「孤立」の違い

〇「病と共に生きる日本的な知恵」

を考えました。これらは、それぞれ、追求したい内容です。しかし、今一度、日本人が日本人たる本質を見極めたいと思います。

一、日本人が日本人たる本質とは何か

結論から言うと、『日本人とは、「自己を立てる存在」ではなく、「自己を納める存在」である』ということでしょう。ここで言う「納める」とは「押し殺すことでも、消すことでも、従うことでも」ありません。全体の中に、ほどよく収めるという意味です。

二、日本人の心の中にあるもの

●境(さかい)を感じ取る力

日本人は、「自分と他人」「内と外」「私と公」をはっきり切り分けません。

むしろ、「どこまでが自分で、どこから外か」をその都度感じ取ります。

この「境」を読む力こそが、日本人の知性です。

●過不足を嫌う感覚

日本人は本能的に、「出すぎること」「足りなさすぎること」の両方を嫌います。

良い・悪いの先に、「ちょうどよいか」を問いましょう。

これは道徳ではなく、「身体感覚」です。

●続いていくことへの執着

日本人にとって最も価値が有るのは、「勝つこと」「変えること」「完成すること」ではありません。

「途切れずに続くこと、家、土地、暮らし、関係、季節、命」この「続き」を壊さないために、自己を納めてきました。

三、なぜ「安心・我慢・孤立・病」が核心になるのか

私が挙げた四つの問いは、偶然ではありません。それらはすべて、「自己をどこまで納めるか」という一点に集まっています。

〇安心とは、自己が場に収まっている感覚

〇我慢とは、納めすぎていないかの限界線

〇一人と孤立とは、納め先を失った状態の違い

〇病と共に生きるとは、納め直しの技

つまり、これらは枝葉ではなく、幹の別の面です。

四、分析癖との付き合い方(とても重要)

私は今、「日本人の本質を理解したい」と言いながら、同時に「理解できる形に固定したい」とも思っています。ここは分かれ道になります。

日本人の本質は、「定義すると疲れる」「言い切ると壊れる」「体系化すると息苦しくなる」という性質を持っています。ですので、これからは、『分析は「結論を出すため」に使わない。分析は「確かめて、戻るため」に使う』というように扱っていきます。

例えば、「考えて、書いて、整理して」、最後に必ず、「さて、今の暮らしに戻ろう」と引き返す。

五、ここまでを一文で言うなら

「日本人が日本人たるとは、自分を強くすることではなく、世界の中で無理なく在ることである」

次の進め方として、以下の四つの問いを「一つずつ、深く、丁寧」に扱い、それぞれの問いの答えとして「納める」という思想をさらに暮らしの作法として、落としていきたいと思います。

〇日本人にとって「安心」とは何か

〇「我慢」どこまで許されるのか

〇「一人でいること」と「孤立」の違い

〇「病と共に生きる日本的な知恵」

上記を一つずつ、考えながら形にしていきましょう。

第一回 日本人にとって「安心」とは何か

(1)結論(芯)

日本人にとって安心とは、「自分が、場との関わりの中に、無理なく納まっている感覚」です。

ここで大事なのは、安心が「心の中だけの出来事」ではなく、「自分と外の間で起きる」という点です。

(2)安心が崩れるときに起きていること

安心がないとき、日本人はだいたい次のどれかににます。

〇出すぎている(目立つ、負担になる、迷惑をかける気がする)

〇納まりきれていない(どこにいていいか分からない、浮いている)

〇納まりすぎている(我慢しすぎて息ができない)

つまり「安心」とは、気分の良し悪しより先に、「居場所の具合」です。

(3)安心の「しるし」(自分で気づける目印)

安心があるとき、身体にこうで出やすいです。

〇息が深くなる(ため息が自然に出るのも良い)

〇肩・顎・腹の力が抜ける

〇視野が広がる(一点に固まらない)

〇食べ物の味が戻る

〇音や人の気配が「攻撃」に感じにくくなる

逆に言うと、安心は「考えて分かる」より「身体が先に知っている」ことが多い。

(4)「安心」をつくる暮らしの作法(納める具合)

作法1、場を整える(外を先に納める)

安心は内側から作るより、外側から生まれやすい。

〇机の上を一か所だけ空ける

〇立つ場所・座る場所を決める

〇明るさを一定にする

〇音を一段落とす(消せないなら小さく)

場が納まると、自分も納まりやすい。

作法2、境を守る(内と外の間を納める)

日本人は境が曖昧になりやすいので、安心には「線」が要ります。

〇返事はすぐに出さない(少し間を置く)

〇頼まれごとに「一度持ち帰る」を入れる

〇何かを断るときは理由より先に「今は難しい」

境を立てるのは冷たさではなく、「自分を場に納め続けるための礼」です。

作法3、小さく済ませる(自己を納める)

大きく説明しない。結論を急がない。整え直す余地を残す。

〇一日に一回「今日はここまで」と区切る

〇反省は短く、対策は一つだけ

〇うまくいかない日は「今日はこういう日」で閉じる

安心は「うまくいった」より「破綻しなかった」で育ちます。

(5)まとめ(短い言葉にする)

この答えを、短くしておきます。

「安心とは、場・関係・身体の中に、ほどよく納まっている感覚。安心を作るには、心をいじるより、場と境を整える。」

≪休憩2≫

私の分析力をここで「測る」ために使います。今のあなたにとって「安心」は、次のどれに一番近いですか?

一、出すぎないで済むこと

二、浮かないで済むこと

三、納めすぎないで済むこと

番号を選んでください。ここでの一~三は診断や分析ではなく、「あなたが今、どこで自分を納めようとしているか」を知るための目印です。

一、「出すぎないで済むこと」を選ぶと、何が分かるか

これを選ぶ人は、「自分が場に対して“強すぎる”のではないか。負担になっているのではないか。」という感覚を、常にどこかで気にしています。

日本人的に言うと、「目立ちすぎないか」「言いすぎていないか」「前に出すぎていないか」を無意識に調整して生きてきた人です。

心身の状態としては、「気を張りやすい」「周囲をよく見ている」「責任を引き受けやすい」「疲れが後から出やすい」

この人にとって安心とは、「自分が控えめでいられること。場の流れを乱していないと感じられること」です。

作法への落としどころは「やらない勇気を許す」「自分から一歩引く日を意識的につくる」「黙っていても価値が下がらない場を持つ」

二、「浮かないで済むこと」を選ぶと、何が分かるか

これを選ぶ人は「自分がどこにも属していないのではないか。ここに居ていいのか分からない。」という不安を抱えやすい。

日本人的に言うと、「場の空気に入れるか」「話の流れに合っているか」「自分の位置があるか」を、常に探しています。

心身の状態としては、「周囲に合わせる力が高い」「しかし、急に疲れる」「一人になるとほっとする反面、寂しさも出やすい」

作法への落としどころは「役割を一つ持つ(大きくなくてもよい)」「いつもの場所やいつもの人を大切にする」「無理に広がらず、深さを選ぶ」

三、「納めすぎないで済むこと」を選ぶと何が分かるか

これを選ぶ人は「我慢が当たり前になりすぎている。自分の息を後回しにしてきた。」可能性が高い。

日本人的にいうと、「波風を立てない」「期待に応える」「自分のことは後」を長く続けてきた人です。

心身の状態としては「表面上では穏やか」「しかし、内側に疲れが溜まりやすい」「ある日、突然動けなくなることがある」

この人にとっての安心とは「我慢しなくても関係が崩れないと分かること。自分を出しても許される感覚」

作法への落としどころは「小さな不満を早めに出す」「嫌だと言わず今日は難しいと言う」「我慢を美徳にしすぎない」

一~三を通して分かる、もっと大きなこと

この三つは、「正確の違い」「弱さ強さ」「正しさ」ではありません。分かるのは、ただ一つ。「あなたが、どの方向に自分を納めようとしてきたか」です。「出すぎない方向か」「浮かない方向か」「納めすぎている方向か」どれも日本人的であり、どれも行きすぎると崩れます。

「人はそれぞれ、出すぎないように、浮かないように、納めすぎないように、どこかで自分を調えて生きている。」

こうしていると、人を型に分ける枠組みに整理していると思われるかもしれません。それは、「日本人が日本人たる本質」からずれていきます。私達が知りたいのは、「人はなぜ、どのような場面で、自分を納めすぎたり、はみ出したりするのか」という「万人に共通する仕組み」であり、「人が生きる」構造を考えたいのです。

そこで、これからの掘り下げ方を、次の立ち位置で進めようと思います。

●人を型で語らない

誰もが出すぎる日があり、引きすぎる日があり、納めきれない日がある。揺れ動くものなのです。

●問うのは「人」ではなく「状態」

「どんなときに、そうなるのか」「何が崩れると、そう振れるのか」「どう整えば、戻ってくるのか」を考えます。

●正しさではなく「保ち方」を考える

「どれが良いか」「どれが未熟か」ではなく、「どうすれば壊れずに続けられるか」に焦点を置きます。

この休憩を作法として、納めるなら、

「人は皆、場と自分の間で揺れながら、その都度、納まりどころを探して生きている。問題は型ではなく、揺れが戻れなくなることにある。」

という一文になるでしょう。さて、休憩を終え、次に進みます。

第二回 「我慢」どこまで許されるのか

「我慢」は、いつ・なぜ・どこまで生じ、どこから人を壊すのかを、「誰にでも起こる現象」として考えましょう。

一、まず結論(芯)

「我慢は悪ではない。ただし、日本人の我慢は「長く、静かで、見えにくい」。壊れるのは、我慢そのものではなく、戻れなくなったときである。

二、「我慢」はいつ生じるのか(誰にでも起きる)

我慢は、特別な性格の人に起きるものではありません。日本人であれば、ほぼ必ず、次の場面で生じます。

●場を壊したくないとき

「空気を乱したくない」「流れを止めたくない」「周囲の調子を落としたくない」

このとき、人は自然に自分を納めます。これは「礼」であり、成熟した行為です。

●関係を続けたいとき

「家族」「職場」「地域」

「今ここで出すより、続ける方が大事」。そう判断したとき、我慢が生じます。

●まだ自分で処理できるとき

「今は耐えられる」「今回は大丈夫」「そのうち収まる」

この感覚があるうちは、我慢は機能しています。

三、「我慢」はなぜ必要なのか(日本的な理由)

日本人にとって我慢は、

「自己を消す行為ではなく、自己を場に合わせて一時的に畳む行為」

です。

畳むからこそ、「場が続く」「関係が壊れない」「次に出す余地が生まれる」

本来の我慢は、「未来のための調整」です。

四、どこまでが「許される我慢」か

ここが最も重要です。判断基準は、感情ではなく「戻れるか否か」です。許される我慢の条件を三つ挙げます。

条件一、後で戻れる

「休めば回復する」「眠れば持ち直す」「一人になれば息がつける」

この「戻り道」があるうちは、我慢は機能しています。

条件二、自分で選んでいる感覚がある

「仕方なく、ではない」「強制でもない」「今はそうすると思えている」

選べている我慢は、自己を壊しません。

条件三、どこかで緩めている

「家では気を抜ける」「独り言が出る」「小さな愚痴がこぼれる」

完全に閉じないこと。これが、我慢を安全にします。

五、どこから「人を壊す我慢になるのか」

次の状態に入ったら、我慢は危険域です。

●戻れなくなる

「休んでも回復しない」「眠っても疲れが抜けない」「一人でも緊張が解けない」

これは「神経が閉じた状態」です。

●選んでいる感覚が消える

「そうするしかない」「皆そうだから」「自分が我慢すればいい」

ここで、我慢は「納める」から「押し潰す」に変わります。

●我慢が自覚できなくなる

「何が辛いかわからない」「不満が浮かばない」「ただ重い」

これは、最も危険です。壊れる直前まで、本人が気づきません。

六、「我慢」を納めなおす暮らしの作法

誰にでも使える作法です。

作法一、我慢を「数える」

「今日、何を飲み込んだか」「何を後回しにしたか」

良い悪いは付けず、「把握」するだけ。

作法二、我慢の出口を一つ残す

「言葉でなくてよい」「書く、動く、黙る、離れる」

完全密封しない。これが生死を分けます。

作法三、我慢を続けない日をつくる

「毎日でなくてよい」「短くてよい」

「今日は納めない日」を意識的に入れる。

七、まとめ(核の言葉)

「我慢は、場を続けるための知恵である。しかし、戻れない我慢は、人を静かに壊す。我慢は、納めたら、必ずほどく。」

第三回、「一人でいること」と「孤立」の違い

一、まず結論(芯)

『一人でいることは「状態」であり、孤立は「関係の切れ方」である。日本人は、一人には耐えられるが、納め先を失うと静かに壊れる。』

善悪や性格の話はしません。「誰にでも起こる揺れ」として扱います。

二、「一人でいること」はいつ生じるのか

一人でいることは、日本人にとって「不自然な状態ではありません」。

むしろ、次のようなときに自然に生じます。

●整え直しが必要なとき

「人と関わりすぎたあと」「気を使い続けたあと」「判断や選択が続いたあと」

このときの一人は、「自分を元の大きさに戻す時間」です。

●境を回復したいとき

日本人は、関わりの中で境が薄くなりやすい。

一人でいることで、「どこまでが自分か」「何を感じているのか」が自然に戻ってきます。

三、「一人でいること」が健やかである条件

一人でいることが、人を保つ状態であるためには、条件があります。

条件一、戻る先がある

「後で誰かと会う予定がある」「どこかに属している感覚がある」「呼べば返事が来る相手がいる」

「今は一人でも、関係は切れていない。」これが大きい。

条件二、選んで一人になっている

「今は一人がよい」「今日は静かに過ごす」

この選びがある限り、一人は回復の場になります。

四、では「孤立」はいつ始まるのか

孤立は人数の問題ではありません。「関係の質と、感覚の問題」です。

次の変化が起きたとき、一人は孤立へと変わり始めます。

●戻る先が見えなくなる

「連絡する相手が思い浮かばない」「どこに属しているか分からない」「会話を想像するだけで疲れる」

これは、関係が薄れたのではなく、「納め先を見失っている」状態です。

●一人でいることが「避難」になる

「人と会うのが怖い」「どうせ分かってもらえない」「迷惑をかけたくない」

この一人は、休息ではなく、「引きこもり」に近づいています。

●一人でいる理由が語れなくなる

「なぜ一人なのか分からない」「説明する言葉がない」「ただ距離を取り続けている」

ここまで来ると、孤立は深く静かです。

五、日本人にとっての「孤立」の本質

日本人の孤立は、

「人がいない」ことではなく、「自分を納められる場がないこと」

です。

「話さなくてもよい」「役に立たなくてもよい」「そのままで居てよい」

そういう場が一つもないとき、人は孤立します。

六、「孤立」を防ぐ、納めなおしの作法

作法一、弱い関係を切らない

「深い理解はいらない」「長い会話もいらない」

挨拶、短いやりとり、顔見知り程度でよい。

「細い糸」を残すことが、日本人を守ります。

作法二、役割を小さく持つ

「決まった場所に行く」「同じ時間に現れる」「同じ動作を繰り返す」

人との関係が直接でなくても、「場の関係」が孤立を防ぎます。

作法三、一人の時間に終わりをつける

「日が暮れたら区切る」「風呂で切り替える」「明日の予定を一つ思い浮かべる」

人は続けすぎないことで安全になる。

七、まとめ(核の言葉)

「一人でいることは、自分を戻す時間。孤立は、納め先を失った状態。人は一人では壊れない。戻れない一人が、人を壊す。」

第四回、「病と共に生きる日本的な知恵」

 ―治すではなく、納めなおす―

一、まず結論(芯)

「日本人にとって病とは、取り除くべき敵ではなく、生のあり方を組み替える知らせである。」

特別な人の話はしません。「誰にでも起こりうる現象」として扱います。

二、日本人は、もともと「病と共に」生きてきた

歴史を振り返ると、日本人は長いあいだ、「完全に戻ること」「元に戻ること」「前と同じになること」を、前提に生きてきませんでした。むしろ、

「調子のよい日と悪い日があること。できることが減ること。季節や年齢で変わること」を自然なこととして受け取ってきた。

病は、「生活の中に入り込み」「家族や場の中で抱えられ」「生き方の形を変える要因」でした。

三、病が生じるとき、何が起きているか

病は、突然現れるように見えて、多くの場合、次の流れを持っています。

流れ一、無理の積み重ねが見えなくなる

「我慢が常態になる」「休み方を忘れる」「戻る感覚が薄れる」

第二回で扱った「戻れない我慢」が、ここで身体に現れます。

流れ二、身体が先に止めに入る

日本人は、言葉や感情より先に「身体が限界を知らせる」ことが多い。

「動けなくなる」「痛みが出る」「眠れなくなる」

これは裏切りではなく、「最後の調整」です。

四、日本的な知恵、一

「治そうと急がない」

日本的な病との付き合いでは、「すぐに元に戻そうとしない」ことがとても重要です。なぜなら、「元に戻すとは、以前の無理な形に戻す」「同じ負荷を再開する」になりやすいからです。

まずやるべきは、「減らす」「遅らせる」「小さくする」。

病は、「生活を畳みなおす合図」です。

五、日本的な知恵、二

「病を生活の外に追い出さない」

病を、「特別な時間」「隠すもの」「恥ずかしいもの」にすると、人は孤立します。

日本的には、「病を含めた状態で、どう暮らすか」を考えます。

「調子の悪い前提で一日を組む」「できない日を予定に入れる」「人に頼ることを異常にしない」

病を「生活の一部に納める」ことで、人は壊れにくくなります。

六、日本的な知恵、三

「人と分けて持つ」

日本では本来、「病は個人の責任ではなく」「家や場で分けて持つもの」でした。

すべてを説明しなくてよい。深く理解されなくてよい。

「手伝ってもらう」「代わってもらう」「任せる」

これらは甘えではなく、「共同の調整」です。

七、「病と共に生きる」とは、どういうことか

それは、「我慢をやめることでもなく」「諦めることでもなく」「闘い続けることでもない」

「自分の生の大きさを、病に合わせて組み替えること」です。

「速さを変える」「関わり方を変える」「期待を減らす」

その結果、以前より穏やかに、以前より深く、生きる人もいます。

八、四つの問いを貫く一本の線

ここで、これまでを一本に束ねます。

「安心とは、納まっている感覚」

「我慢とは、納めて、ほどく技」

「一人とは、納めなおす時間」

「病とは、納めなおしを迫る知らせ」

すべて、「どう納め、どう戻るか」の話でした。

九、最後に(ここまでの全体を納める言葉)

「日本人が日本人たることは、自分を強く押し出すことではなく、世界の中で壊れずに在り続けること。

そのために人は、納め、ほどき、また納めなおしながら生きている。」

ここまでで、私が最初に掲げた問い――「日本人が日本人らしく、健やかに生きる術」は、「一つの形」になりました。これは技法ではなく、「生き方の骨組み」です。

≪あとがき≫

 ――壊れてしまったあとからでも、生き方は組みなおせる――

私は、統合失調症という病を抱えています。

それは単なる体調不良ではなく、

「人としての手応えや、世界とのつながりが、一度ばらばらに壊れてしまった経験」でもありました。

考えがまとまらなくなり、現実が信じられなくなり、人と関わることが、恐ろしく、苦しいものになった時期があります。

いわゆる「普通の生き方」や「社会的に期待される回復」からは、大きく外れてしまった人間です。

それでも、ここまで書いてきた「日本人的な生き方の骨組み」は、私にとって空想ではありません。

むしろ――「壊れてしまったからこそ、たどり着いた実感」でもあります。

壊れたという事実は、日本人であることを奪わない

日本人的な生き方とは、「強くあること」「正常であること」「役に立ち続けること」ではありません。それは、

「世界との間に、無理のない納まりどころを探し続けること」

です。

心が壊れた経験を持つ人は、この「納まりどころ」がどれほど大切かを、身体で知っています。

「我慢しすぎれば壊れる」「関係を失えば立てなくなる」「無理に元に戻そうとすると、さらに傷つく」

これらは、理屈ではなく、実感して分かっています。

それは欠落ではなく、「生き方を選びなおすための、深い知恵」です。

「元に戻らない」ことを前提に、生き方は組みなおせる

病のあと、人にしばしば、こう問われます。

「前のようにできますか」「元の生活に戻れますか」

しかし、日本的な生き方においては、そもそも「元に戻る」ことが目標ではありません。

「今の身体で」「今の心の大きさで」「今の速度で」どう暮らすかを、組みなおす。

それは敗北でも、妥協でもありません。

「変わってしまった自分を、世界の中にもう一度、丁寧に納めなおす行為」

です。

壊れた経験を持つ人にも、指針はある

この書で述べてきたことは、健常な人だけの話ではありません。

むしろ、「安心とは何か」「我慢はどこまでか」「一人でいるとは何か」「病と共にどう生きるか」

これらはすべて、「壊れやすさを抱えた人のための問い」でもあります。

日本人的な生き方とは

「壊れない人になることではなく、壊れたあとも、世界と関係を結びなおす道」

なのです。

最後に

私は、人として一度壊れました。それでも今、こうして言葉を重ね、生き方の作法を考えています。

それは「克服したから」ではありません。「完全に治ったから」でもありません。

ただ、「壊れたままでも、無理なく在れる形を探し続けている」。それだけです。

もしこの書が、同じように立ち止まった人の手に届いたなら、伝えたいことは一つだけです。

「日本人として生きる道は、壊れたあとにも、必ず残っている。」

このあとがきで、この書が「思想」から「証言」へと変わることを願います。

最後に、今まで支えてくれている妻に最大の感謝を伝えます。

2026年(令和8年)01月19日(月)

よしふみ

 

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